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よるのかにの四方山話的日記!
最近単なるにっき化。石の話題多しです。木偶さん等は元気です(笑)。

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チブサン古墳

今日は熊本県山鹿市にあるチブサン古墳の見学に行ってきました。

のっけから大失敗。

高速道路に乗ったら逆方向に入ってヒャぁぁぁぁ!!!!仕方ないので次で降りて戻る羽目に。

思うけど、高速道路の入口は本当にわかりにくい。年配者が逆走するからという話をしてTVでも見るけど……本当にわかりにくいから間違えやすいと思う(擁護する気ないけど)。

間違えたからといって逆走するのはあり得ない違反だけどさ(==)。どうにかしてくれ!!!本当高速道路……だから嫌なんだよ、まじ。通りたくないんだよ。

長崎道は何回も通り慣れているし車線が2つなので通りやすいということもあるけど。

話を進めて……遅れがありつつも9時半過ぎに到着。10時前に受付を終えて館内を見ていたら説明してくださる担当の方が行くのが私一人なので博物館の車に乗ってもらっていいかと尋ねられて、乗せてってもらうことに。母親も乗せて来てましたが、母親は興味ないので(というか墓に行くのは怖いというので)館内で待つことになりました。

山鹿市立博物館で見学の受付をして現地まで車で連れて行ってもらうと、そばに居た2人の女性の方が見たことがないというので¥100払ってもらったら一緒に案内しますよと担当の方が言われて3人で入りました。事前にチブサン古墳の説明を受けてから内部へ。

鍵を開けて重たい扉の中に入ると空気がモワッとしてなまぬるい感じが。階段を上がっていくと、もう一つの扉の奥にゴツゴツした岩肌の中の光の中に石室がうっすら見えていました。どうぞと勧められてまずは私が懐中電灯を借りて身をかがめて入ることに。奥のガラス越しに目的の装飾の石室が見えましたが、曇っていたのでタオルをもらって拭いて見ました。

朱(ベンガラ)・黒(マンガン)・白(粘土)で描かれたという絵が残っています。中心より左にある色は青色らしいけど……これは何を潰したものだったのだろう?教えてもらえなかったなぁ……そういえば。中はパワーが充満しているのでここは素晴らしいパワースポットですよ!ということでしたが、私は入るや否やものすごい重圧感を感じていたので、外に出た時はホッとしました。

説明の際に右下の人間はこの土地を支配していた王様を表していると思いますが、その上にある七つの丸い玉は何に見えますか?と尋ねられたので「天体?」と答えたら……子供達や以前訪れた記者が宇宙人説を話していた……ロマンがありますね……ということでしたが、自分(担当の方)は星を表していると思いますということでしたので……やっぱりね、と(笑)。

悲しいことに、盗掘にあっているので副葬品が失われていること、本来は60mあったはずの古墳後部が農地になって今は45mの長さになってしまったということでありました。今だとありえん事でしょうけど(==)。

車で移動中もいろいろ古墳の話をしつつ……次オブサン古墳を案内してもらいました。近くまで車で行って下の方に歩いて階段を降りたところにあります。

突堤を両方に備えている円墳で、大正時代に撮られたらしい写真は突堤もボロボロ……木も生えていたようで、昭和の時代になって修復され今の形になったようです。昔は子供の遊び場だったらしく、昔住居として使用されたこともあって中で煮炊きした為に中の装飾はすっかりと禿げてわからなくなってしまったそう。西南戦争の時は戦火に曝され閉塞石など持ち出されたため、当時の弾痕が今も残っていました。

ここは石室の1つまで中に自由に入れるので入ってみると、積み上げられた石が綺麗に残っています。3年前の熊本地震での被害はなかったものの……今後心配とのことで入口付近の石と石の間がつい最近しっかりと固定されたそうです。

オブサン古墳はお産の神様、チブサン古墳は中程の乳房のような模様から乳房の神様として地元の方々から敬われてきたのだとか。

 

ただ……説明の中で衝撃的な話が。

私は装飾古墳の出所など何も考えたことがなかったのですが……この話は担当して話してくれた方の話なので、どこまでがどうなのかは私はわかりませんが有力なのかなぁ。

 

朝鮮からやってきた人たちが帰化して日本人に当時の最先端?の墓の作り方を教えて作ったものが装飾古墳であるだろう……と。

なぜなら……チブサンという言葉は朝鮮の言葉から変化して今の呼び方になったのではないかなぁ?といったからです。

 

 チブ   サン    

チプ=家 サンソ=墓

 

法隆寺の百済観音は日本製ではあるらしいけど多分そいうことなのかなぁ。

複合民族である日本人の遺伝子にはそもそも『和』することが埋めこまれているのだと思う。

 

実は、チブサン古墳などのある山鹿市から山を越えた向こう側には私が先日行った岩戸山古墳がある。

ここは大和朝廷に反抗して攻め滅ぼされた筑紫君磐井の古墳と言われているのだが、ここの石人の頭は無情にも落とされている。流石に山を越えたチブサン古墳の石人までは至らなかった為、チブサン古墳の石人はチブサン古墳の発掘の際に横のくぼんだ部分に埋まり混んでいたのを発掘され東京国立博物館に行ったそうなのだが、現在は九州国立博物館に展示されていた……のだった!!!あ!!!いつも見ていた石人はそう!チブサン古墳の本物の石人だったとその時思い出したのでした。

「東京に行っていた石人が今は九州にあるからいいか〜と思ってますよ」と言われてましたが……所蔵者東京国立博物館だし(==)!!!!解決策になっとらん!!!

なんでそうなってしまったのだろうね。

 

石人石馬にロマンを感じてきた私の興味の行き着いた先がこのようになるとは思いませんでしたが、でも……なんかよかったです、ずーーーっとひたすら気になっていた古墳に行けたので。

さっきNHK見ていたら1964年頃のオリンピックの裏に隠されたどす黒いものを感じましたが、『いだてん』作っているのにすごいなぁと思いつつ見てました。

 

山鹿から鹿北の道の駅に寄ってお昼ご飯を食べ、利平栗購入。見事な栗です……値段も¥1,200ってのはすごいけど。九州では熊本でないと作っていないんじゃなかろーか。憧れの栗です。

もう一度山鹿市街近くに戻ってから、和水の金栗四三生家に寄ってみました。結構山奥〜〜〜にありました。

母親が言葉が懐かしい!!と言ってましたが、大牟田に近いところなので熊本県とはいえ言葉似ているかも。その後小学校時代に住んでいた付近を通ってから帰宅の途につきました。

うん十年ぶりに通ってあまりの変わりように驚いたかも。小学校校舎は綺麗になっていたけど変わっていなかったかな?

でも転校する前の男の先生はクソ意地悪かったし、こっちに転校してきたときの女の先生も通信簿にボロクソに書いてくれていたのを今でも覚えている。3、4年に受け持ってくれた先生はものすごくいい先生で名前も覚えているなぁ。

先生次第で子どもは随分と変わると思う。それはいまでも全くもってそうなんだなぁと……知り合いの人の子どもの話を聞いて感じた事ですが。嫌な先生に当たったら……トラウマになるよな。

今日帰宅して『ポツン…』見ながら栗剥きしてましたけど……2時間近く向いていた割に全部剥けませんでした。

| [ぷち旅]行楽comments(0) | by  よるのかに
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